散歩に洗濯、カレーライス作り。
ちょこっと原稿を仕上げて、ふるさとに帰省。
釣り三昧に酒三昧。
いつから丹下は「高等遊民」になったのか。
うらやましいじゃないか。思い起こせばン年前、ボクたちは、伊勢丹の屋上で金魚すくいをしたり、カブト虫を見たりしたものだ。
飽きたら、デパートの階段を使って「グリコ・チヨコレート・パイナツプル」で遊んでいた。
ジャンケンで勝った者だけが前に進めるゲーム。
グーなら、「グ・リ・コ」で3段。
チョキは、「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」、パーは、「パ・イ・ナ・ツ・プ・ル」で、それぞれ6段。小学校では、夏休みに「ウナギつかみ大会」が開催されたが、校庭はアスファルト。
ビニールプールの大きい物を何個か用意して、そこに放たれたウナギをワイワイキャーキャー叫びながら獲っていたのだ。
楽しみだったプール講習では、その日に「光化学スモッグ注意報」が発令されたら、即中止。
すごすごと帰宅して、外出してはいけなかった。ボクの場合、ふるさとに帰ると言っても、JRに乗って30分、いま、KKベストセラーズの社屋がある「大塚」に日帰りするだけ。
浪人時代は、自室にクーラーがなかったので、「涼」を求めて山手線に陣取り、「ひと駅ひとつ」と英単語を暗記していた。
言うまでもなく『試験にでる英単語』(青春出版社・森一郎著)である。
関東圏は「でる単」と呼び、関西圏は「しけ単」と読んでいた。
ボクは高校時代の関西人に感化されて、「しけ単」派。なんと心の貧しい夏休みだったのだろう。
いいなぁ、山口県。
目の前は海、振り返れば山。
どなたか、網元出身の女の子、お友達になりませんか。
というわけで、1998年の今週は、8月3日(月)〜9日(日)でした。飲み屋仲間が集まって、今夏、「第1回ギャンブル・トライアスロン」が開催される運びとなった。
一人一人が、得意な(好きな)種目を持ち寄る。
種目ごとに順位をつけ、総合得点でチャンピオンを決定するというわけだ。残念ながら、と言うより、仕方がないので「まずは4人で開催」ということになった。
飲み屋の主・Hさんが、どうしても「麻雀」を入れたいと頑迷に譲らなかったからだ。
8人も集めるのは大変だし、みんな職業が異なるので、多くなれば日時が決めにくくなる。コンビニ店長のYさんからは、「ボウリング」。
IT企業のSさんからは、何と「競馬」が提案された。
私はとうぜん、「競馬」を提案するつもりだった。
しかし、Sさんの第2希望が「ゴルフ」だったので、それでは勝ち目がないと見て、競馬の主催はSさんに譲ることにした。
で、私は「市ヶ谷の釣り堀」を推した。これで、正式に4種目が決定。
8月から、1週間に1種目。
1ヶ月をかけての戦いが幕を切って落とされる。
みなさんに、いいご報告ができるよう、がんばります。
というわけで、1998年の今週は、7月27日(月)〜8月2日(日)でした。
山田乗男がアナログ派というのなら、私は、超アナログ派と言わざるを得ない。
私が、超アナログ派というのなら、丹下は、超弩級のアナログ派と言うべきであろう。
登録されていない漢字がある場合、私には、それを手書きで入力して登録させる技術があるが、丹下は、そこだけカタカナで書いて、管理人に「漢字に直せ」と指示するからである。我われが何気なく発する「デジタル」とか、「アナログ」という言葉が、そもそも和製英語であることは知られていないだろう。
この言葉は、1950年代に京都大学工学部の学生によって作られた。
結果的にコンピュータ分野においてはアメリカに遅れをとったが、その頃の京大生は、世界の嚆矢たらんと、懸命に研究をしていたのだ。ある研究室で、雑談中に生まれたのである。「デジタル」とは、「出自、至る」の略。
出自を「でじ」と読ませた洒落だ。
どんな状態でも、それを数量化し、曖昧さを回避しようという概念で、つまり、突き詰めれば「出自(しゅつじ)がはっきりする」という意味が元になった。
履歴のはっきりしない、どこの馬の骨か分からないものへは対応しない。いっぽう、「アナログ」とは、「穴の具」が転化した言葉。
穴の具とは、要するに「糞」のことである。
排泄物という無駄なものにも、意味を持たせようと考えられた。
どこの馬の骨か分からないものにこそ意味があるという概念である。
これらは、こうしたユーモアから生まれた言葉だったのだ。たとえば、本を求めようとする。
デジタル派は、曖昧さを回避しようとするので、あらかじめ出自を求めて(書名を確認して)、その本だけを買いに本屋へ行く。
アナログ派は、とりあえず本屋へ行く。
立ち読みしながら(無駄な時間を送りながら、また、買わない本でも周辺情報を仕入れながら)、自分にとって買うべき本を探そうという行為をとる。だから、デジタル派がいいとか、アナログ派が悪いとか、そういうことではない。
「曖昧さ」や「無駄」に価値を求めるか否か、ということにすぎないのである。
よって、丹下もヘコむ必要はない。
無駄な人間にも、生きていく価値があるのだ。
という前提を踏まえて、1998年の今週は、7月6日(月)〜12日(日)でしたって、どういう前提なんだ、オイ。
最近、丹下ほどではないけど、腹下りが頻繁なんですね。
べつに、今に始まったことではないけど、気がふさぐんです。
そういえば、大学時代、ボクは文学部の日本文学科だったんですけど、ここの学部棟の便所は臭かった覚えがあります。
ボクを含めて、みんな、国の行く末を考えたり、人生を深く哲学したり、人間とは何か、などと一生懸命に思索に耽っていたから、お腹も痛くなるのでしょう。それに比べて、経済学部とか経営学部の棟の便所なんて、匂い自体がなかった。
みんな、その日の合コンの打ち合わせや、週末のデートの予定とか、ナンパの話しかしていないから、腹が下るなどという人間の根源的な悩みを持っていないのでしょう。こうして人間的な成長をおさめたボクですが、ここにきて、また痛くなったのです。
気持ちの問題かな、最近、やる気もないし、と反省していたのですが、先日「ためしてガッテン」を見ていたら、どうも、「甲状腺ホルモンのバランスが悪い」という症状と一致したのです。
でもね、甲状腺ホルモンの症状ってのは、えてして、女性に多い症状なんだそうです。
ということは、ボクは本質的に女性っていうことなのかしら。
アラ、いやだ。
というわけで、10年前の夏開催スタート週は、1998年6月15日(月)〜21日(日)でした。まず、丹下の悩みにお答えしよう。
「高松宮杯」が「記念」に変更されたのは、ちょうど1998年からである。
なぜ、改称されたのか。
それは、95年にさかのぼる。95年9月、競輪・競艇の「宮杯」をめぐり、「主催自治体などが、高松宮家と三笠宮家に、多額の謝礼金を渡していた」という問題が発覚したのだ。
宮内庁が、これを「皇室経済法」に対する違法と認めた。
そして、総額1億4475万円を返還することになった。
このいきさつから、1997年、宮家より「高松宮杯という名称を使わないように」との申し入れがあった。
競馬には直接的な関係はなかったのだが、公営競技として足並みをそろえるために、翌98年から「記念」になったのである。チャンチャン。
というわけで、1998年の今週は、5月25日(月)〜31日(日)でした。
●週半ばには目立ったニュースはありませんでした。●31日(日)、2人の騎手が、この日をもって引退しました。
東信二騎手は、東京3Rのステートリーシチー(13着)が最後の騎乗。
通算512勝(重賞21勝)。
「体力的にはまだまだやれると思っているが、乗り馬も少なくなってきたし、そろそろ潮時と思った」とコメントしました。
思い出は、キョウエイグリーンで勝った安田記念と、87年の皐月賞・菊花賞を勝ったサクラスターオーだそうです。「その後は厩舎に属さず、サークルの外から競馬を見ていくようだ」と記事にありますが、そのとおり、シンジマンとしての活躍を果たしました。
手品はうまいし、唄もうまいし、マルチな才能を持っている東さんです。篠原茂騎手の最後の騎乗は、4月25日の新潟・4歳未出走戦のダイヤパシフィック(7着)でした。
通算105勝(重賞0勝)。
引退後は、平井雄二厩舎の調教助手に転向されたそうです。
東騎手の思い出にあるサクラスターオーは、この平井厩舎の管理馬でした。
ちなみに、9月29日生まれの篠原さんは、ボクと同じ、てんびん座のAB型。
きっと素晴らしい人でしょう。●同じく31日(日)、中京3Rでムスメに騎乗した大崎昭一騎手が落馬してしまいました。
脳震トウで一時は意識を失うほどだったそうですが、名古屋の藤田保健衛生大学病院で精密検査を行った結果、脳などに異常はありませんでした。
しかし、その後、その後遺症から慢性硬膜下血腫を発症し、頭部の手術を受け、復帰に向けてリハビリを行っていましたが、残念ながら翌99年に引退をしました。
通算970勝。
1000勝まで、あと30勝だっただけに、惜しまれました。近年は、競馬予想会社の広告で拝見しますが、7〜8年くらい前かな、一度、新宿御苑の小料理屋でご一緒する機会がありました。
勝負の世界にいたとは、とても思えないほど穏やかな方で、楽しい宴だったことを思い出します。今春(2008年)、調教師試験に合格した大竹正博技術調教師(大竹姓は妻の姓)は、大崎さんの息子さんです。
かつて、「泣きの昭ちゃん」と言われた大崎さんですが、いまは、笑顔で過ごされていることでしょう。●31日(日)、シャンティー競馬場で行われた仏ダービーは、キャッシュ・アスムッセン騎手のドリームウェルが優勝しました。
その1ヶ月後には、愛ダービーも制しました。
翌99年のサンクルー大賞典では、凱旋門賞を狙って遠征したエルコンドルパサーと対戦しています。
最初のコーナーで、同馬がエルコンドルパサーの右後脚に乗りかかり、外傷を負わせたそうです。
それでも、エルコンドルパサーが勝ち、同馬は3着でした。ドリームウェルは、父・サドラーズウェルズ×母父アレッジドという血統。
2000年、日本に輸入され、社台スタリオンステーションでケイ養されました。
01年の初年度産駒にアドマイヤモナークがいます。
他の産駒はワンダードリーム、アサクサムスタング、シルクエフォートなどです。
01〜02年は、シャトル種牡馬としてニュージーランドへ出稼ぎに行き、2004年に再びフランスに戻りました。ちなみに、ニュージーランドには、丹下が在籍していた「ホースニュース馬」社が持っていたホテルがありました。
丹下も社費で行ったことがあるそうですが、マオリ語でナンパしたのでしょうか。

