最近、丹下ほどではないけど、腹下りが頻繁なんですね。
べつに、今に始まったことではないけど、気がふさぐんです。
そういえば、大学時代、ボクは文学部の日本文学科だったんですけど、ここの学部棟の便所は臭かった覚えがあります。
ボクを含めて、みんな、国の行く末を考えたり、人生を深く哲学したり、人間とは何か、などと一生懸命に思索に耽っていたから、お腹も痛くなるのでしょう。それに比べて、経済学部とか経営学部の棟の便所なんて、匂い自体がなかった。
みんな、その日の合コンの打ち合わせや、週末のデートの予定とか、ナンパの話しかしていないから、腹が下るなどという人間の根源的な悩みを持っていないのでしょう。こうして人間的な成長をおさめたボクですが、ここにきて、また痛くなったのです。
気持ちの問題かな、最近、やる気もないし、と反省していたのですが、先日「ためしてガッテン」を見ていたら、どうも、「甲状腺ホルモンのバランスが悪い」という症状と一致したのです。
でもね、甲状腺ホルモンの症状ってのは、えてして、女性に多い症状なんだそうです。
ということは、ボクは本質的に女性っていうことなのかしら。
アラ、いやだ。
というわけで、10年前の夏開催スタート週は、1998年6月15日(月)〜21日(日)でした。まず、丹下の悩みにお答えしよう。
「高松宮杯」が「記念」に変更されたのは、ちょうど1998年からである。
なぜ、改称されたのか。
それは、95年にさかのぼる。95年9月、競輪・競艇の「宮杯」をめぐり、「主催自治体などが、高松宮家と三笠宮家に、多額の謝礼金を渡していた」という問題が発覚したのだ。
宮内庁が、これを「皇室経済法」に対する違法と認めた。
そして、総額1億4475万円を返還することになった。
このいきさつから、1997年、宮家より「高松宮杯という名称を使わないように」との申し入れがあった。
競馬には直接的な関係はなかったのだが、公営競技として足並みをそろえるために、翌98年から「記念」になったのである。チャンチャン。
というわけで、1998年の今週は、5月25日(月)〜31日(日)でした。
●週半ばには目立ったニュースはありませんでした。●31日(日)、2人の騎手が、この日をもって引退しました。
東信二騎手は、東京3Rのステートリーシチー(13着)が最後の騎乗。
通算512勝(重賞21勝)。
「体力的にはまだまだやれると思っているが、乗り馬も少なくなってきたし、そろそろ潮時と思った」とコメントしました。
思い出は、キョウエイグリーンで勝った安田記念と、87年の皐月賞・菊花賞を勝ったサクラスターオーだそうです。「その後は厩舎に属さず、サークルの外から競馬を見ていくようだ」と記事にありますが、そのとおり、シンジマンとしての活躍を果たしました。
手品はうまいし、唄もうまいし、マルチな才能を持っている東さんです。篠原茂騎手の最後の騎乗は、4月25日の新潟・4歳未出走戦のダイヤパシフィック(7着)でした。
通算105勝(重賞0勝)。
引退後は、平井雄二厩舎の調教助手に転向されたそうです。
東騎手の思い出にあるサクラスターオーは、この平井厩舎の管理馬でした。
ちなみに、9月29日生まれの篠原さんは、ボクと同じ、てんびん座のAB型。
きっと素晴らしい人でしょう。●同じく31日(日)、中京3Rでムスメに騎乗した大崎昭一騎手が落馬してしまいました。
脳震トウで一時は意識を失うほどだったそうですが、名古屋の藤田保健衛生大学病院で精密検査を行った結果、脳などに異常はありませんでした。
しかし、その後、その後遺症から慢性硬膜下血腫を発症し、頭部の手術を受け、復帰に向けてリハビリを行っていましたが、残念ながら翌99年に引退をしました。
通算970勝。
1000勝まで、あと30勝だっただけに、惜しまれました。近年は、競馬予想会社の広告で拝見しますが、7〜8年くらい前かな、一度、新宿御苑の小料理屋でご一緒する機会がありました。
勝負の世界にいたとは、とても思えないほど穏やかな方で、楽しい宴だったことを思い出します。今春(2008年)、調教師試験に合格した大竹正博技術調教師(大竹姓は妻の姓)は、大崎さんの息子さんです。
かつて、「泣きの昭ちゃん」と言われた大崎さんですが、いまは、笑顔で過ごされていることでしょう。●31日(日)、シャンティー競馬場で行われた仏ダービーは、キャッシュ・アスムッセン騎手のドリームウェルが優勝しました。
その1ヶ月後には、愛ダービーも制しました。
翌99年のサンクルー大賞典では、凱旋門賞を狙って遠征したエルコンドルパサーと対戦しています。
最初のコーナーで、同馬がエルコンドルパサーの右後脚に乗りかかり、外傷を負わせたそうです。
それでも、エルコンドルパサーが勝ち、同馬は3着でした。ドリームウェルは、父・サドラーズウェルズ×母父アレッジドという血統。
2000年、日本に輸入され、社台スタリオンステーションでケイ養されました。
01年の初年度産駒にアドマイヤモナークがいます。
他の産駒はワンダードリーム、アサクサムスタング、シルクエフォートなどです。
01〜02年は、シャトル種牡馬としてニュージーランドへ出稼ぎに行き、2004年に再びフランスに戻りました。ちなみに、ニュージーランドには、丹下が在籍していた「ホースニュース馬」社が持っていたホテルがありました。
丹下も社費で行ったことがあるそうですが、マオリ語でナンパしたのでしょうか。久しぶりに丹下からお呼びがかかったのですが、当日は京王線沿線で「不発弾処理」がありました。
まったく気付かずに電車に乗って(鈍行だけなのでおかしいな、とは思いましたが)、明大前あたりで車内放送で知らされ、アッタマに来て、爆死してやろうかと思いました。
しかし、ダイナマイトを忘れたので、事務所に取りに返りました。
今、原稿を書きながら、グリーンchでヴィクトリアマイルを観たところです。さて、先週、『日刊スポーツ』の血統予想でお馴染みのTさんが主催する短歌の会へ入会しまして、6首ほど詠んでみました。
競馬は競馬として、初めて、こういう枯淡とした遊びをしたで、心が洗われるような気持ちになりました。丹下も入会して、「下心だらけの50年間」を洗い流したら、どうでしょうか。
というわけで、1998年の今週は、5月18日(月)〜24日(日)となります。4月末、香田晋のデビュー20周年記念曲「艶歌師」が発売されました。
これは、「作詞・阿久悠×作曲・三木たかし」というゴールデンコンビが10年前に生み出した傑作です。
そのキャンペーン、並びにカラオケ用の撮影が、四谷・荒木町で行われました。
カラオケで歌うと、丹下や当ブログの金ピカ管理人も行ったことのある小料理屋「奈美」が映っているそうです。
また、私の知り合いの「流しの新さん」も協力出演しています。
みなさん、ぜひ、練習して歌ってください。
いいですか、出だしは「♪どなたか、ご存知ないですか。12で離れた妹を〜」ですよ。
さん、はい。
さて、その「艶歌師」が生まれた10年前。1998年の今週は、5月4日(月)〜10日(日)でした。昨日のフローラSで、レッドアゲート=カレイジャスミンを、ほぼパドックだけで的中させましたが、何か?
しかも、○=◎の第一本線、ド厚めで的中させましたが、何か?
ま、週半ばに場末のスナックに行って、お姉ちゃんに「どんなタイプが好みなんですか」と訊かれたから、「来る者はオバマず、サルコジは追わず」と国際政治を絡めて答えてやったら、ドン引きにあったから、神様がチャラにしてくれたのでしょう。
さて、「十年ひと昔」。1998年の今週は、4月27日(月)〜5月3日(日)でした。●この頃(日にちを失念)、こんな出来事があった。
まず、『フライデー』。
マンション分譲の最大手「大京」の前会長・横山修二さんが4〜5年前から競馬にハマり、当時7頭の馬主になっていた。
しかも、1億円近い高馬ばかりで、この年の皐月賞に出走したクリールサイクロン(7着)も持ち馬。
それが問題となったのは、大京が、三和銀行からの880億円をはじめ、約1兆円の借金があったからだ。
もし、大京が破綻すれば、金融パニックが起こり、日本経済はトドメを刺される恐れさえあるというのだった。●この頃(日にちを失念)ニュージーランド競馬で、「タルシーツァン」(TULSY・TSAN)という馬名の牝馬が、レース数時間前になって突然、出走停止を命じられた。
名前を逆さに読むと(「NASTY・SLUT」)、「ふしだらな女」を意味する隠語だったからだそうだ。
この牝馬は「ベン・アゲイン」と改名して5日後に復帰した。
ちなみに、この「NASTY・SLUT」で検索してごらんなさい。
朝まで楽しめるよ。

